どうも、ミズキです。

今回は『サブリミナル・マインド』という書籍の書評価レビューになります。

■目次

『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ 』『サブリミナル・マインド』書評価レビュー

『サブリミナル・マインド』の詳しい内容

  1. 序 私の中の見知らぬ私―講義に先立って
  2. 第1講 自分はもうひとりの他人である―自己と他者の社会認知心理学
  3. 第2講 悲しいのはどうしてか?―情動と帰属理論
  4. 第3講 もうひとりの私―分割脳と「自己」
  5. 第4講 否認する患者たち―脳損傷の症例から
  6. 第5講 忘れたが覚えている―記憶障害と潜在記憶
  7. 第6講 見えないのに見えている―いき下知覚と前注意過程
  8. 第7講 操られる「好み」と「自由」―サブリミナル・コマーシャリズム
  9. 第8講 無自覚の「意志」―運動制御の生理学と哲学
  10. 第9講 私の中の悪魔―自由意志と「罪」をめぐって

顕と潜の統合

『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ 

作者:下條 信輔

新書: 320ページ

出版社:中央公論社 (1996/10/25)

『サブリミナル・マインド』書評価レビュー

人間は100%完璧に「自分」を知る事はできない

 

これが本書『サブリミナル・マインド』の最も言わんとする結論ではないでしょうか?

 

つまり、人は自分ではっきりと認識できる「顕在意識」よりも、
決してはっきりとは認識できない、感じとる事もできない、
けれども確実に存在はしている「潜在意識(無意識)」に大きく支配されているという事です。

 

 

図式化してみると、

 

刺激(原因)

潜在意識での自動処理

顕在意識への認識表出

反応(結果)

 

ってな感じで、
必ず潜在意識での自動的な処理をワンクッション入れてから、
ようやく顕在意識で認識して反応するっていう話ですね。

 

なので、認識できない潜在意識が先だって作動する以上は、

 

・なぜ自分がその反応を示したのか?

・なぜ自分がその行為を行ったのか?

 

こういった行動の動機を100%把握する事は不可能と言っても良いのです。

 

これって、結構恐くないですか?

 

だって、自分のする行動の動機が完璧に分からないという事は、
人間が人間足りうる証といっても過言ではない「自由意志」の消失を意味するかもしれないのですから。

 

例えば、何か欲しい(と思っていた)ものを購入した際、
実はその欲しいという購買意欲は企業やメディアなどの外部要素によって意図的に植え付けられていたり、

 

「自分はこれこそがやりたい事だ!」と息巻いていても、
実はそれは親や先生、友達などの他者によって知らず知らずのうちに洗脳されたものである可能性が高いという事です。

 

それに最近の科学的な研究結果でも、
人間が何か行動を起こそうと意識的に決断した0.5秒前には既にその行動の電気信号が送られているという事例があります。

 

潜在意識(走れ!)

→顕在意識「よし走るか!」

 

こんなイメージで、
いくら自分自身の力で意識的に行動していると思っていても、
実は機械仕掛けの操り人形のように行動させられている可能性が高いという事ですね。

 

コレが行き過ぎてしまうと、
内面的な思考や感情だったり、
外部的な環境や出来事に自分の意識が乗っ取られてしまいかねません。

(まぁこういう人ってよくいますけど・・・)

 

100%自分自身の意志で行っている事なんて何一つない。

 

所詮、人間なんて仮の意識があるだけの操り人形。

 

こう考えると「何だかなぁ」って気持ちになっちゃうのは私だけでしょうか?笑

『サブリミナル・マインド』の詳しい内容

『サブリミナル・マインド』では、
そういった潜在意識(無意識)による確かな働きや強力な影響を
様々な科学実験や著者独自の見解を通して詳しく語られていました。

 

全体の目次はこんな感じ。

 

[ 目次 ]
序 私の中の見知らぬ私―講義に先立って
第1講 自分はもうひとりの他人である―自己と他者の社会認知心理学
第2講 悲しいのはどうしてか?―情動と帰属理論
第3講 もうひとりの私―分割脳と「自己」
第4講 否認する患者たち―脳損傷の症例から
第5講 忘れたが覚えている―記憶障害と潜在記憶
第6講 見えないのに見えている―いき下知覚と前注意過程
第7講 操られる「好み」と「自由」―サブリミナル・コマーシャリズム
第8講 無自覚の「意志」―運動制御の生理学と哲学
第9講 私の中の悪魔―自由意志と「罪」をめぐって

 

それぞれ簡単に見ていくと・・・

序 私の中の見知らぬ私―講義に先立って

「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」

自分で意識化し、ことばにできる心のはたらき(メンタル・プロセス)よりも
むしろ、自分でも気づかない無意識的な心のはたらきに強く依存しています。(P4)

序盤から早速その核心部分を提示していますね。

見える限界=識閾よりも下という意味で「サブリミナル(閾下)」といいます…

本人の自覚がないにもかかわらず、
刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている点です。

そうした無自覚的な心のはたらきをまとめて、
「潜在的な認知過程」と名づけておきたいと思います。(P13)

わたしの場合、ここでは潜在意識と大雑把に言いましたが、
作者はガチの科学心理学者なので(東大エリート)
潜在意識の認知プロセスを研究するという広い意味で「潜在的な認知過程」と呼んでいると思います。

 

その上で、作者は・・・

私のイメージする「潜在的な認知過程」にもっとも近いのは「暗黙知」という概念です。

伝統的な技能・芸能や武道などの鍛錬でしばしばいわれるように、
熟達者がある種の技能をしっさにおこなって見せることはできても、
その技能をことばで客観的に表現しがたいということがよくあります。

また、ある事柄を知っているという自覚なしに知っているという場合もあります。

このような潜在的で無意識的な技能や知能(知恵)をまとめて「暗黙知」といいます。

自転車の乗り方なんかも暗黙知の典型例ですね。

 

そして、第0講の最後では、

今回の講義の最終的なメッセージとして大事なことは次のことです。

 

つまり、人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけでなく、
潜在的・暗黙的・無自覚的・無意識的な過程にも強く依存しているということ。

さらに・・・暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎となっていることです。

 

そして、もっと大切なのは、暗黙知と明証的な知とは互いに密接に作用しあっていて、
それが人間の心の働きを人間独自のものにしているという事です。

実はコレ、序文にしてめちゃくちゃ大事な事いってるんですよねぇ。

(詳しくは最後の「顕と潜の統合」にて)

 

なんか序文だけでこんなに長くなっちゃいましたが、
主にこれ以降の章は具体的な実験や事例などでこの核心を裏付けていくだけなので、
あとはその部分を手短に紹介していくに留めます。

第1講 自分はもうひとりの他人である―自己と他者の社会認知心理学

この章で取り上げるべきは、
やはり「認知的不協和」かと。

個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき、
認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。

そこで当然、それを解消または低減しようとする動機づけが生じる。

しかし多くの場合、外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので、
結果として内的な「認知」のほうが変わる。

つまり態度の変容が起こる

(具体的には、たとえばものや作業に対する好嫌の感情が変化する)P23

これを用いた例が、

 

・わずかな報酬の方がかえってその仕事そのものを魅力的にする

・報酬が多いと仕事そのものをつまらなくする

 

といった「不十分な正当化」の事例に見られます。

 

なのでテストで良い点とったらご褒美あげるってのは止めといた方がいいですね・・・

第2講 悲しいのはどうしてか?―情動と帰属理論

この章では人間の「感情」について潜在的な部分から述べられています。(情動二要因論)

今回の講義全体を通じて私が提案しようとする「人間科学のセントラル・ドグマ」は、
ある一側面からいうと次のようなことです。

つまり、知覚から行動に至る無自覚的な経路がより基本的で、
意識的な経験はこうした無自覚的プロセスに対する、いわば後づけの「解釈」にすぎません。

 

・・・単純化して図式的にいってしまうなら、
「身体的過程→潜在的認知過程→自覚的情動経験」という関係が重要なのです。(P46)

分かり易く言うのであれば、

 

「悲しいから泣く」→「泣くから悲しい」

「楽しいから笑う」→「笑うから楽しい」

 

こういう事ですね。

第3講 もうひとりの私―分割脳と「自己」

この章では、人間の左脳と右脳における視野の違いや働きが中心となっています。

・・・結局、右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず、
絶えず推測しつつ、しかし推測しているということには気づかずに、事実として認知し記述しているらしいのです。

言語を司る左脳

感覚を司る右脳

 

これら2つが1人の人間の中にいながらも、
まるでお互いが別人のように振る舞うという説は非常に興味深かったです。

第4講 否認する患者たち―脳損傷の症例から

この章は、神経心理学における潜在的な認知過程の症例実験の話が盛り沢山なので、
個人的には読んでいて一番キツイと感じた章でした・・・笑

 

ただ、以下の「左半側無視」という、
視界の左側を全く認識できない患者とその担当医による会話は面白かったです。

(青→担当医、赤→患者)

「自分がどこにいるか、わかる?」

「病院」

「なぜ、病院に?」

「どこか、悪いところがあるから」

「どこが悪いの?」

「・・・・・・・」

「左腕は大丈夫?」

「はい」

「では、左手を出してごらん」

「はい」(しかし実際には、何も動かさない)

「どこ?」

「ほら、目の前に」

(検査者はここで、人差し指を患者の健常側〈右〉視野に出す)

「この指を左手で掴んでごらん?・・・・・左腕が全然動かないね?」

「(ためらった後に)考えてから動かすまでに時間がかかるんです。もう少し時間さえくれれば・・・」

「でも右手なら即座に動かせるでしょう? きっと左手は動かせないのでは?」

「大丈夫、動かせます。

ただ・・・ときどき非論理的な反応が行動に現れるんです。

ときにはうまくいき、ときにはうまくいかない・・・」

(検査者は患者の左手を、患者の見える右視野に置く)

「これは、誰の手?」

「先生の手」

(検査者は患者の左手をはさむような位置に、自分の両手を置く)

「誰の手?」

「先生の」

「手はいくつある?」

「三つ」

「手が三つある人なんて、見たことある?」

「手は腕の延長でしょ。先生は三本腕があるから手も三つじゃなきゃおかしい」

(検査者は自分の手を患者の右視野に置く)

「左手を、私の手に重ねるように置いて」

「はい」

「どこ? 私には見えないし、あなたにだって見えないだろう!」

「(長いことためらってから)でもね、先生。

私の手が動かないということは、
きっと私が手を挙げたくないからじゃないかな。

こんなこというと驚くかもしれないけど、
とても奇妙な現象が起こるんですよ。

手を動かすという動作を避けていさえすれば、
(そうでなくてはできない)その動作ができるような気がする。

手を動かさないのはそのせい。

もちろん非論理的で気味の悪い話だってことはわかってる。

でもこの不可思議さは私の手には反する、
だって私の手はとても合理的だから。

私の話で先生が退屈しないといいんだけど・・・私の一見おかしな話でね」

(P103〜106)

「左」という概念自体が完璧に消え去った人間・・・。

 

う〜む、面白くも恐ろしい話ですねぇ。。。

(これは強制的に脳が誤った判断を下しているとしか考えられないそうな。)

第5講 忘れたが覚えている―記憶障害と潜在記憶

この章は3章や4章とは打って変わって、
「記憶」における潜在的な認知過程について詳しく述べられています。

 

作者は「記憶」というものを

 

・宣言的記憶(後天的な学習によって獲得された顕在的な記憶)

・手続的記憶(感覚的な技能や操作などの暗黙知による潜在的な記憶)

 

この2種類の記憶を詳しく取り上げた上で、

記憶が一つのシステムではなく、
多元的で複数の脳内システムから成っている可能性があること、
しかも、そのうちの一部が潜在的・無自覚的でありうるという事を理解して頂ければ良いのです。

(P136)

とある事から、
「記憶」においても潜在的な認知過程が深く関わっていると言えるのですね。

第6講 見えないのに見えている―いき下知覚と前注意過程

おそらく、人によってはこの章こそが最も興味をかき立てられる箇所かなと思います。

(実際、私はそうでした。)

 

というのも、この第6講では、

「見えた」

「聞こえた」

という自覚のない知覚によっても、
私たちの行動や好みは影響を受けるのか?

(P139)

といった、いわゆる「サブリミナル効果」に直接関わる部分を明らかにしていく章だからです。

 

作者はこの問いに対して、

 

「前注意過程」

「初期視知覚過程」

 

と呼ばれる通常の意識的な視覚に先立つ、
無意識的・自動処理的な視覚過程の重要性を紹介しています。

 

つまり、第6講の「見えないのに見えている」というタイトル通り、
少なからずは確実に私達の視覚は潜在的な無意識の影響を強く受けているという事です。

 

イコール「サブリミナル効果」は明らかに実在するという事ですね。

(だから、例のツールの効果は高く保証しますよ 笑)

 

まぁその影響力に関しては未だはっきりと解明されていませんが、
少なくとも、作者が強く訴えかけているのは、

「視知覚情報処理の大部分は、われわれの意識にとってアクセス不能であり、
われわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない」

(P169)

とある事から、
これは序盤に示した、

 

刺激(原因、入力)

潜在意識での自動処理

顕在意識への認識表出

反応(結果、出力)

 

上記の認知プロセスが更にネガティブに裏付けられた事になりますね 苦笑

(こうして黒字で強調してるのも何かの意図があるかもしれませんよ?w)

第7講 操られる「好み」と「自由」―サブリミナル・コマーシャリズム

この章は科学的な実験や理論的な小話は割と少なめで、
もっとリアルな私達の日常生活に焦点を当てた潜在的な認知過程のお話になっています。

 

特に、マスメディアのCMなどに見られる、
大衆的なマインド・コントロールの話は非常に興味深かったです。

マスメディアによる、あるいはマスメディアを通したサブリミナルな操作、という問題が、
きわめて微妙で重要な問題をはらんでいると思うのは、
ふたつの異なるケースがあり得るからです。

その第一は、発言者あるいは製作者が意図的にあるメッセージを潜在化し、巧妙に流した場合です。

第二は、当事者自身も潜在的に特定のコトバやシーン、アイテム、ストーリーなどを選択していて、
それが結果として、サブリミナルな世論操作や流行操作を成功させている場合です。

 

・・・したがって現象には、このふたつのケースのうち第二のほう、
つまり情報の送り手も受け手も始終無自覚であるケースが、
より頻繁に起こっているのかもしれません。

(P219)

つまり、我々は仕掛ける側と仕掛ける側に関わらず、
全ての人間がサブリミナルな洗脳を受けている可能性が高いと・・・。

 

しかも、その正確な効果を測る術が未だ見つかっていないというのがタチ悪いですね 笑

(まぁ少なからずのサブリミナル効果はあると見るのが妥当でしょうけど。)

 

今後より一層、潜在的な無意識に購買を煽ってくる輩には注意していきたいものです。

第8講 無自覚の「意志」―運動制御の生理学と哲学

さて、ここからは今まで詳しく解説されてきた無意識の潜在的な認知過程を踏まえて、
ちょっと難しめな「哲学」の領域に入っていきます。

 

果たして我々に合目的的で合理的な自由意志はあるのだろうか?

それとも所詮は機械仕掛けのマリオネット的存在に過ぎないのか?

 

こういった何とも堅苦しい難題に迫っていくわけですが、
作者の結論的には・・・

さぁ、今回の話をまとめておきましょう。

 

ある行為が「目的にかなっている(合目的的)」ことは、
しばしば自発性・意図性あるいは随意性の指標とされます。

いうまでもなくその逆は、
盲目性・機械性とされるわけです。

 

けれどもこれまでの紹介からもわかるように、
合目的性と機械性は、実は矛盾しません。

機械的に反応しているはずの断頭カエルでさえ、
目的にかなう柔軟性を示すからです。

 

そこで端的にいうなら、
自発的でなくすなわち随意的でない運動も、
場面に応じた柔軟な合目的性を持つということが、十分にあり得るようです。

 

・・・またもっと直接的に、人が自発的にある行動を意図した時にだけ、
頭の表面の特定の部位に特定の脳波が先行して現れることを示した研究もあります。

これが現れると後は機械的に運動指令が筋肉まで伝わるというのですから、
「自発的かつ機械的」というほかはありません。

(P255~256)

とあるため、人間は自由意志もあって機械人形でもあるとの事。

 

言い換えれば、潜在意識と顕在意識のダイナミックな相互作用が人間を人間たらしめるという話ですね。

 

そして、これは次の第9講に引き継がれます。

第9講 私の中の悪魔―自由意志と「罪」をめぐって

最終章となる第9講では、
先程の第8講で主題として掲げられていた、

 

「人間は自由か機械か」

 

といった部分を
裁判や犯罪における罪と罰、意図や責任といった法的・倫理的な観点から迫っています。

 

そのため、内容としても込み入った話が多く、
哲学に免疫がないと吐き気を催してしまう恐れがあるので、
ここではその簡単なまとめとなる要約部分のみを抜粋しておきます。

議論が込み入ってしまったので、
ここで少し整理します。

 

1.私たちは一見、自己の経験の自覚的直接性を疑う事なく生きているように見える。

2.しかし反面、知覚や判断や行動の由来・理由・動機・原因などを最終的に特定化する必要が生じたときには、
私たちは第三者の観察にむしろ特権を与える。

3.その場合「責任」は、
本人の自覚化された意図と第三者による因果関係との間で重みづけ、ないしは斟酌される。

4.これは私たちの日常の行動様式を規定するだけでなく、
社会規範をも陰に陽に裏付けている、信憑の体系である。

また、同時代人によって共有されるが、
時代に伴ってグローバルには変化する人間像の体系という意味で「時代の人間観」とも呼べる。

5.そこでこの「時代の人間観」をより深く理解するために、
私たちは人間観の本質的な複合性を自覚し、
その依ってきたる所以と根拠とを洗い直してみなければならない。

(P277~P278)

要するに、人間の主観的な顕在的過程と客観的な潜在的過程との相互作用における解釈次第で、
今後、私たちの生きる「時代の人間観」は絶えず揺れ動いていくといった感じでしょうか。

(もしかしたら、いつかは「被告人は潜在意識によって犯行を起こされてしまったのです!」なんて言う弁護士も出てくるかも 笑)

 

何だか意味不明な感じですが、
ここまでの全体に流れている根底としては、

 

人間は(潜在的な認知過程の存在ゆえに)100%完璧に「自分」を知る事はできない

 

この部分が一貫している事に変わりはないので、
最悪、これだけでも覚えてもらえたらなと思います。

顕と潜の統合

・・・こうしてまとめてみると、
なんか改めて自分が「自分」に対して無知であるかを突き付けられましたねぇ・・・。

(それと同時に、まだまだ未知なる部分が「自分」に眠っていると思うとワクワクするってのも少なからずありますがw)

 

なので、まずはそんな「自分」に対する無知さを少しでも減らすべく、

 

・自分の潜在意識にはどのような特徴が埋め込まれているのか?

・自分の潜在意識にプログラムされている性質は何なのか?

 

こういった自分自身の中に潜む潜在意識の性質を深く理解した上で、

 

・自分が自分だと思っている顕在意識とどう折り合いを付けていくか?

・いかに顕在意識と潜在意識の働きを一致させ仲良くやっていくか?

 

このように顕在意識と潜在意識をバランスよく統合していく必要があると思います。

 

どうせ、消去できない自動操縦プログラムが埋め込まれているのなら、
それと手を取り合って共存していく事の方が合理的だと思いますからね。

 

その意味で、無意識的な潜在意識を意識的に願望実現に利用していくのが目的である、
このツールなんかは、まさにうってつけの代物と言えるのではないでしょうか?笑

(ぶっちゃけ、そのためのレビューって事は内緒の方向でw)

 

以上、『サブリミナル・マインド』の書評価レビューでした。

参考になれば幸いです。

ミズキ

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